2011/03/16

地震の時

東北地方太平洋沖地震により被災された皆さま、そのご家族の方々に対しましても心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復旧復興をお祈り申し上げます。
3月11日金曜日、午後2時46分。私は仙台駅におりました。
この日は仕事で打ち合わせの後、買い物をして今から塩釜市に向かうところでした。午後5時から塩釜で親戚の通夜があったのです。
駅構内の売店の方が、きゃー地震よ!と騒いでいたもののまたすぐおさだるだろうと思っていたら今まで経験した事のない揺れが襲い、駅構内にいた人たちはいっせいにペデストリアンデッキ(外2階)に飛びだして行きました。それにおされるように私も外へ。そのとき思ったのは、将棋倒しで死ぬかも。
人々は泣き出す方、祈る方、冷静に指示をする方、様々でしたが私は一人でいて不安そうな顔をしていたのか隣にいた女性が手をつなぎましょうと手をとってくれました。
仙台の方は地震に慣れていると認識していました。確かに建物も耐震設計されていてガラスが割れるなどの被害は、あの揺れなのに駅前ではなかったように思います。
そしてホテルメトロポリタン仙台の前に行くと、知った顔にほっとして涙が出てきました。強い余震も続く中、ホテルの方は冷静にお客様を誘導する。ご自身も怖いはずなのに。
地震が少しおさまり、仙台駅屋上駐車場に車を取りに行き見た光景は、車同士がぶつかりあい止まってる姿。自分の車もステップがやドアミラーが落ちていたり、被害がありましたが、そのときも県警の方が車に取り残されてる人が居ないか必死に1台1台確認をしていました。
その後、私は塩釜に行く事が出来ず。余震が続く中、電気とガスが止まっている中で必死に片付けをし、何かしてないといけない気がして動いてました。
その夜は家族に会えず、この先の事、まずは明日の事、どうなるんだろうと何をしたらいいんだろうと洋服のままで横になりました。